無心で見て聞く

道元に「聞くままに、また心なき身にしあらば、己れなりけりの軒の玉水」と言う歌があります。
自己を忘れて、無心に聞く時、軒の玉水がそのままで自己であったと言うのです。

芭蕉が松島を見たとき、「松島や あ、松島や松島や」
松島以外の言葉がでていませんでした。

「花は紅、柳は緑」といいます。きのうなずなの花を見、柳の木を見ていたのですが、
きょうは全然違って見えたというのです。

白秋は「ばらの木にばらの花咲く何事の不思議なけれど」
歌っています。

「尋常一様窓の月、僅かに梅花あってまた同じからず」と言う句がある見たいですが、
いつも見ている窓辺の月に変わりはないけれど、きょうは梅一輪の匂いのために、
同じ月が、まったく違って見えるみたいです。

自己を忘れて、無心になずなの花を見て、軒の雨ざれを聞いて、自己がそのものになった。
花や軒のあまざれになりきる三昧のとき自己を悟られされると思います。

心も妄念とかある間は見るものも歪んで写ります。
人の心も同じようで、風がふいて波が立つとそこに写っている対象物もぐにゃぐにゃに揺れると思います。

妄念や雑念に支配されなくなるとちょうど、
月が湖面に映し出されるように空にもお月さんが浮かんでいるように心そのものだけが現れてくると思います。、

本当の自分をはっきりとつかめないとしてもうっすらぼんやりとかいま見る事ができるかもしれません。
道元や芭蕉のように無心で見て聞く極致になってみたいものです。

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  • レイバン メガネ

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