祈り

祈りは神に届いていると言われます。
ドリーン・バチューのエンジェルメッセージの中に祈りの事について書かれています。
※〔あなたがたすべての祈りの言葉は、神に届いています。神は苦しみ、悩み、答えを求める人々の祈りをすべて聞いています。そして、ほぼ祈ると同時に答えがもたらされているのです。〕
※〔祈りがもたらすものは、幸福と愛です。それ以外はありません。あなたの心が打ちひしがれ、不安に翻弄され、孤独感で満たされていたとしても、つねにわたしたちが癒しをおこなっていることを忘れないでください。望んだ結果が得られないことに絶望したり通じていないと独断したりして、祈りをやめないでください。あなたの祈りの言葉は、その一つひとつが神にとって重要なものなのです。祈りがあなたの願望どおりに実現するためには、さまざまな要素が必要となります。タイミングやあなたの関わり合う人の思い、そしてあなたが心に抱いている幸福感が完全に調和しなければなりません。祈りの望みどおりに実現しないときは、このうちの何かが欠けているのです。〕

祈りについて、少しお話ししたいと思います。自分の体験したことについて話すのは少し気がとがめますけど、
自分の体験した事が少しでも人の為になればと思いまして、過去にあった体験を少しお話ししたいと思います。。
過去に突然のアクシデントから車からほうり投げ出されて、手首と鎖骨の骨折、打撲により入院した事があります。
その当時は心の殻が開いて、心のエネルギー〔カルマのエネルギー〕が噴出している最中でした。
その影響で随分、苦しみました。普通の事でも大変な事ですけど、そのカルマの噴出中での出来事は耐えがたい苦しみに伴って、自分を持ちこたえるのは大変な辛さだったと思います。
それも走っている車からほうり投げ出されてしまいまして、骨折とか打撲を体験した人なら解ると思いますが、一晩中苦しみました。
自分は毎日の生活過程で、瞑想は欠かせないものになっています。
骨折と打撲でとても瞑想は出来ない状態でしたけど、姿勢を整えて、ナイチンゲール及び天の医師団に祈りました。身体は激しい熱と痛みに身を任せて、一生懸命祈りました。
下半身から身体の痛みの微熱とまた違った熱が下半身から上にあがって行くのが解りました。
我に返ったときに眉間に今にも消えそうな光を見ました。
自分の意識を少し抜くとその光が消えてしまうぐらいな微妙なものです。
調度、手動の映写機を回してる感じで、力を抜くとスクリーンに写らないと同じような感じでした。
その光の中で、一人の女性が現れて、少し会話をしました。
その波動と言うかステージーと言うかそこには二人しかいなくて、それがすべてでした。
はっと我にかえり気ずくとナイチンゲールだったとその映像から思いました。
よく祈りとかは幻想だと言われますけど、それはそれで良いと思います。
自分には本当の幻想でも偽りの幻想でもどうでもいいんです。
若い時にお世話になった山寺の禅の師匠の教えには思いを手放すと言う言い付けの教えがあります。
それをいつまでも執着せずとらわれず思いを手放しにすると言う事が大事だと思います。
人は祈る事はできますし祈りは神に届いていると思いますし瞑想から対象との区別がなくなった状態になればもっと祈りがより身近に感じられるようになれると思いますよ。
人間は神性なるものを持って生まれて来たと言われますしより多くの人がそれに気が付かずに眠ったままこの世の幕を閉じるのは勿体無いと思います。
永遠の今を目覚めて生きて行きたいものですね。




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